私は大学を卒業後、とある会社の営業職として入社しました。
社会人になりたての私には、個性あふれるデスクや爽やかな電話対応の声、パンツスーツをビシッと着こなす女性がとてもが魅力的なものに見えました。
しかしそこには、予想だにしない闇が潜んでいたのです。
明らかなブラック企業とまではいかなくても、曖昧な境界線にいるグレーな会社があります。私の勤めていた会社は、ちょどその境目のような位置にありました。
私の嘘のようなホントの実体験をもとに、辞めるべき会社の特徴についてご紹介させて頂きます。
体験した10の違和感
恐るべきは私が新卒だったこともあり、どこからが異常なのか早期に判断できなかったことです。いま新卒の方は、もしかすると同じ状況に陥っているかもしれません。
勤めている会社に違和感がある方は、ぜひこの10の違和感を参考にしてみてください。
①給料なしの入社前研修
内定式前の数日間、新卒社員を集めて行われた研修がありました。通常、参加義務のある研修は「労働に従事した」として会社側は賃金を支払う必要がありますが、私の会社で給料は発生しませんでした。
加えて「大丈夫だと思うなら帰っていいですよ!」という半強制的な残業つきで、早くも帰宅後は布団へダイブする日々が始まりました。
②1時間全員立ちっぱなしで行う朝礼がある
週明け初日の朝は、社内で全員立ったまま行う朝礼がありました。朝礼の内容は、各部署の先週の報告・今週の抱負がメインでしたが、わざわざ1時間もかけて社内で共有する必要性を感じなかったです。
なかでも、ポジションのよくわからない年配男性が、耳をそばだてないと聞こえない声で自分のエピソードを話すパートは、今となっても不可解な時間です。学生時代、校長先生の話をうつらうつら聞いている感覚でした。
新人内でも「1時間の内にテレアポした方が有意義」という声がありました。
③定時後に参加必須の会議がある
定時とは業務を終えるべき時間ですが、事あるごとに定時を過ぎてから行われる会議がありました。定時の19時を過ぎてから「本日は20時に会議室にお願いします!」と当然のようにアナウンスがかかります。
その他にも、OJT担当(仕事をサポートしてくれるペアの先輩)とのフィードバックが20時や21時に設定され、先輩自身の仕事が終わらず時間通りに始まらないこともありました。
そんな習慣ができたのは、直帰が好まれない環境であると同時に、定時までみっちり外出している社員が多かったからだと考えられます。
④早出を促される・残業は当然
入社して数週間後、就業時間前に新人の勉強セミナーが開かれるようになりました。
参加した一部の新人は拍手喝采のごとく賞賛され、参加しない人間は責め立てられるような感覚があったことを覚えています。
私は鉛のような疲労を抱えていて、さすがに早起きをする余力はありませんでした。
その鉛の要因として、基本的に毎日3時間程度の残業があったことが挙げられます。新人も例外ではなく、入社初日から一度たりとも定時に帰れたことはありませんでした。
繁忙期に残業が増えるのはどの会社でもあることですが、年中通して残業三昧なのは、生産性と社員の体調を考えると不敵な環境だといえます。
⑤役員陣が精神論ばかり語る
「熱意がたりない!」という言葉が、砲弾のように社内で飛び交っていました。ノルマの未達やミスに対して、まず本気で取り組んだかどうかを問われます。
役員陣は「本気でやれば信頼は得られる、失敗もしない」「考えるよりまず動け」という全てが熱意に集約される理論を好んでおり、幾度となく悩まされた記憶があります。
論理的でない方法で解決できることには限界がありますし、聞いているこちらが恥ずかしかったです。
⑥明らかに何もしてない上司がいる
社内を見渡し、ふいに立ち上がったと思うと「どう、やってる?」と声をかけて回っている上司がいました。
本社を総括するそれなりの立場の方でしたが、やっている仕事といえば全体会議の茶々入れ役とExcelの入力業務で、社内で見ている限りそれらしい仕事をしている姿は見られませんでした。
社員があくせく働く中、明らかに仕事をしていない上司がいることはモチベーションの下がる要因となりました。
後々お話しますが、退職の引き留めにあった際にも「話し合いならいつまでも付き合うよ、俺は予定ないし!」とこぼしていました。
⑦1年間の離職率47%
総会でこの数字の発表があり、新人全員がざわついた記憶があります。
厚生労働省の発表した業界別の離職率(平成30年)では、私の業界にあたる離職率は19.9%という結果が出ていました。
最も離職率の高い「宿泊業・飲食サービス業」でさえも26.9%なので、47%という数字がどれほど強烈なものかご理解頂けると思います。
⑧1年以内の新卒離職率80%
新卒の離職率においては、過半数をはるかに超える80%を記録しています。こちらも厚生労働省調査の大卒者の1年以内の離職率(平成30年)が11.6%であることと比較すると、驚異的な数字であるとわかります。
また私の同期の代では、研修期間中に1人辞めるという偉業を達成しました。
⑨中途採用者が数日でよく姿を消す
中途入社した人は、1年どころか3日や1週間で姿を消すことがよくありました。中途は他の会社を経験しているからこそ、社内の危険な匂いを敏感に嗅ぎとったのだと思います。
社員もその現象に慣れてしまっているようで、「またいなくなっちゃたね」という言葉を節々で耳にしました。
⑩ホームページの売上高が更新されなくなる
決定打は、これまで抜け目なく毎年ホームページに載せられていた売上額が、ある年を境にぷつんと更新されなくなったことです。
いよいよ数字として現れてきたのだと思い、違和感は確信に迫りつありました。
筆者の選んだ選択
結論から述べると、私は2ヶ月という早期退職を選びました。
ここからは退職の決定打となった出来事と、退職までにあった一波乱についてお話していきます。こんなことも起きるのかと、一つのドラマとして読んで頂ければ幸いです。
退職の決定打
部署のリーダーである上司と同行した日、事件は起こりました。
その日は月末で、営業ノルマの期限がじわじわと迫っている時期でした。
ノルマ達成のために粘りたい気持ちはわかりますが、上司はお客様の帰りを無理に引き止めて、外に立たせたまま取引の交渉に走ったのです。それも数分ではなく、気づけば30分、1時間と経過していました。
私は半ば呆れつつ「お客様が困ってるじゃないですか。こんなところで引き留め続けるもの迷惑ではないですか?」と止めに入りましたが、上司は完全に無視。自分の納得のいくまで喋り続けていました。
もちろんそれがノルマに繋がることもなく、帰りの電車内では憔悴しきっていました。
私はどうしても上司の行動に納得がいかず「あれは無いんじゃないですか。自分がやられたら嫌になります」と訴えたところ、「あなたは新人だから何もわかってない!いずれ気持ちがわかるようになる」と返されたのです。
私が追い打ちをかけてしまったことが癇に障ったともいえますが、その発言には心底ゾッとしました。
私もいずれ数字に追われるがままに、この上司のような営業をしてしまうのではないか。
そして会社の掲げる「お客様第一主義」が、どうしようもない建前であることに気づいたのです。
これがきっかけで沸々と湧いていた違和感は、一気に嫌悪へと姿を変えました。
(余談ですが、その夜同期と深夜まで飲んで怒りをぶちまけました。)
退職までの一波乱
退職の引き留め
この出来事と疲労のピークを機に転職を決意し、足早に役員陣へ退職したい旨を伝えました。
そしてここからは、怒涛の引き留めラッシュが始まります。例の「何もしてない上司」を筆頭に、引き留めは数日間に渡って続きました。
引き留め文句の中には「ここでやれなきゃ、どこへ行ってもやっていけないよ」「採用するのにいくらかかると思ってるの?」と脅迫まがいの言葉を並べ立てられ、少しでも気を抜くと気圧されそうでした。
後から聞いた話ですが、私の後に辞めた新人も同じような目にあっており、引き留めが常態化していることがわかりました。
中には「またまた冗談言っちゃって!」と真面目に取り合ってもらえない人もいたようです。
退職書類が届かない
苦闘をくぐり抜けて、無事退職にこぎつけることはできましたが、最後の最後までこの会社は裏切りませんでした。
退職日に総務部の方が「来週には退職書類一式送るかね」と言っていたにも関わらず、数週間経っても1ヶ月を過ぎても一向に届きませんでした。
私はしびれを切らし、なんの連絡も告げず会社に突撃して書類をもぎ取りに行きました。すると総務の方に「あら、ちょうど送ろうと思ってたのよ」としれっと言われ、その平然とした態度には呆れざるを得ませんでした。
社長にも礼儀としてご挨拶をしましたが「なんか前より元気になったんじゃない?」と声をかけられ、「お陰様で」と言いたいのをぐっとこらえました。
退職後の発見
退職後はすぐに転職を始めましたが、やはり2ヶ月という早期退職が引っかかり、なかなか思うように選考が進みませんでした。
結果として正規雇用の道を断念することになりましたが、次の会社では尊敬できる方ばかりに囲まれて、のびのびと仕事ができるようになりました。
転職後の環境と比較して、前職の環境がいかに殺伐としたものだったかに気づけたのです。
退職後は平坦な道ではなかったけれど、今でもあの時に退職してよかったと思っています。
実際に、私の後に適応障害で辞める新人が何人もいました。 たまに元同期で会うことがありますが、誰もが口をそろえて「辞めてよかった」と言っています。
もし違和感を覚えたら
いまの会社で得られるものと失うものを天秤にかけたとき、圧倒的に失うものが多いなら迷わず転職すべきです。
しかし私の場合、営業職が専門的なスキルを得にくい職種であることも、転職に踏み切りやすい要素だったといえます。職種にもよると思いますが、自分の人生を守るために時には思い切った決断も必要です。
この会社で得られたのは、どの会社も天国に見えるようになったことと、自分の経験からを人に転職のアドバイスを出せるようになったことです。
今も後遺症として残っているのは、定時で上がれることに未だ不安を感じてしまうことだけです。